HYの脳梗塞、失語症、記憶障害の記録(高次脳機能障害)

脳梗塞の後遺症は、100人いたら100通りです。それを高次機能障がいと言います。

2017年7月の頃

リハビリで、言語聴覚士さんの指導が終わりかけてた頃だったかな。保険の期間あって、その後、引き続きリハビリ可能なんですが、保険が効かないシステムになってるので、支払っていける額じゃないので、保険適用期間が終わると先生とリハビリする事が終了します。

 

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まだまだ、不明な点が多い中、不安でした。

 

不安は、まだあって、2017年2月1日から入院してる母がいてて、僕は、2017年2月6日に脳梗塞で救急車で運ばれてる状態でして、母は簡単に言うと心臓が悪かったんです。

 

当時、僕も、母も、別々の病院でお互いに心配してたんだと思います。僕は、救急車で運ばれ1週間くらいは、記憶がよく分かってなかったので、1週間くらい経って、母の入院してることだけは、理解してるような感じだったように思います。

 

いつからか、母も頑張ってるんやから、僕も勉強頑張ろうって思うようになりました。

 

そんなこんなで、勉強してる中、家族から母の状態が良くないと聞かされました。危篤状態で、母の弱ってる免疫力で生死をさまよってる状態で、母の入院してる病院から心づもりはしておいてくださいと言われたと、2017年2月下旬頃に、家族から僕に聞かされて、脳梗塞のせいで、頭が上手く整理出来なくて、なんなのか?意味がわからんって思って、勝手に涙でてきました。

 

まだ、僕は、外出許可は出ないので、心配しながら、リハビリをして、リハビリに集中が出来ませんでした。でも、リハビリを頑張る=母が良くなると信じて、不安を打ち消すように、リハビリが終わっても、病室で、寝る前まで、勉強してました。

 

母の調子が、良くなって来たの聞いて、面会も出来る状態になって、僕も外出許可がおりて、母のいる病院にお見舞いに行ってきました。

母は、僕の体調を心配してくれて、椅子に座りって言い、母もシンドイと思うけど、気を配ってくれました。とても、安心しました!

 

2017年3月下旬に、僕も母も、同じタイミングくらいで、退院できる事になってました。

 

でも、母は退院が出来なくなって、またどんどん体調が悪くなって、心臓の手術する事になりました。手術したのは2017年4月上旬です。数時間の手術の中、母は頑張ってくれて、手術を、もちこたえる事が出来ました。

 

その後、2017年5月中旬くらいまで、順調に回復してましたが、下旬くらいからまた調子が悪くなってしまいました。

 

2017年7月末に、母は天国に行くことになりました。その間も、色々とあったけど、母は、良く頑張ってくれました。

 

その間、リハビリと母の病状とか、凄く僕の中で、戦ってたって言うか葛藤してたっていうか、そもそも記憶がまだ安定してない状態だったので、状況は分かってるけど、分かってないような状態で天国に行ってしまいました。

 

高次脳機能障がいの影響で、2020年の今もまだ、理解していないのかも知れません。

 

誰かと話すと、記憶が蘇ってくる部分、何かしてるときに記憶が蘇ってくる部分あって、母と脳梗塞後、あまり話しが出来なかったため、もっともっともっと母の思い出がいっぱいあるはずなのに、記憶の引き出しが少ないのです。

 

何を言ってるの?って思う人もいると思いますが、母との記憶が薄いのです。仮に、僕は母の事が大好きでした。退院したら、いっぱい話ししてその中で、記憶の扉を開けて、元通りなるくらいに母からいっぱい話しが聞きたいと思ってましたが、それが出来てないため、記憶が更に混乱してるんだと思います。今も、色々と心の中で、母に話しかけて、母との記憶を思い出そうとしています。

 

仮に、僕は、母の事が大好きだったので、もう天国に行く前に、脳梗塞にして、母の記憶を薄くしといてくれたのかなって思ったりもします。そのままの記憶だと、立ち直れないほどの衝撃だったので。また、僕は、脳梗塞で、もしかしたら僕自身が天国に行ってかも知れんって先生に言われたので、その引き替えに、母が天国に行くことになったんかなって思ったりします。

 

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